親子で疲労困憊・・・間違っています!

イメージ先行の小学校受験。イメージと「お受験」という言葉だけが独り歩きしています。正しい知識で、有意義な受験準備をしていきましょう。幼児教室マナーズでの準備は、26年間の年月に裏打ちされた、受験準備以上の確かなもの、です。

小学校受験は変化しています

1993年、幼児教室マナーズが開校した頃の小学校受験準備は、泣かせてでも難題・難問を解かせ、成績や点数といった数値で計る優秀さを追及したものでした。そういう詰め込み式の受験準備のため、親子共に疲労困憊。チックや頻尿、吃音(どもること)になってしまう子どもも少なくなかった・・・とても悲しい時代でした。そういう時代、そういう方法に警鐘を鳴らすべく、熱いでまどか先生が開校したのが幼児教室マナーズ、でした。

当時の小学校受験は、面接も大切な要素ではありましたが、ペーパーテストの重要性も確かに高く、そういう面から「必死にペーパーをやらせる」という構図も理解できないわけではありませんでした。
そんな時代から、20数年の年月が流れ、試験の在り方は大きく変わってきています。 しかし!残念なことながら、「お受験」と呼ばれて久しい小学校受験は、中学受験同様「受験産業の中」に組み込まれ、試験形態、試験様式が変化してきているにも関わらず、いまだにペーパーテスト対応の詰め込み式が主流で、保護者自身「たくさんのペーパーを解かせ、高い能力をつけさせることが小学校受験準備だ」と信じ込み、奔走している家庭が何と多いことか。
でも、それは正しくありません。

小学校受験の試験内容

小学校受験では、大きく分けて2つのテストがあります。
① 親子で臨む「面接」
② 子どもだけで受ける「テスト」

学校によって、その面接、テストの手法は様々です。
子どもだけで受けるテストには「記述式テスト(ペーパーテスト)」「運動テスト」「絵画や工作的なテスト」「集団(グループ)行動」「自由遊び」「個別テスト」などがあり、その組み合わせ決まっていません。
ここ数年は、昔ながらの「ペーパーテスト」は実施せず、グループ行動と自由遊びのみ、というような学校もあります。

すべてのテストには、数や量の理解、言葉の理解、季節や行事の理解、物事を推理する力、形などの構成力、常識の理解や社会性、等々、問われることは、多岐にわたります。
ただ、「数や言葉の理解」とは書きましたが、決して「数字」や「文字(ひらがな)」を書かせるわけではありません。なぜならば、数字も文字も、「小学校に入学してから学習するもの」ですからね。小学校受験を考えたから・・・と、先取り教育を自学するのは、妙なことです。(極々一部の一部の学校では、「ひらがな」を読ませる考査を実施する場合があります。その場合には、あらかじめ出願前に必要事項として、志願者家庭「考査の一環として、ひらがなを読ませるテストを実施する旨、知らされますが、普通はそういうテストはありません」
「お弁当と水筒を持参させ、考査の時間の中で食べさせる」という学校もありますが、「お行儀、箸の持ち方、食べ方等、考査の対象となる」ことは稀です。こちらも文字同様、事前にお知らせがあります。

学校は何を見ているのか?

テストは、すべてが「指示行動」です。
指示されたことを理解し、考え、そしてその指示の通りに印や絵を描いたり、言葉で表現したり、身体を動かしたりする・・・これが、出題に対する「答え」ですね。
では、ここで見られていること、求められていることとは何なのか?
それは。まずは、自分の置かれている場を理解し、どう対処すべきか、が理解できるか? 緊張があっても、本当は外に見えるブランコに乗りたいなあ、と思っても、「今は、一生懸命にお話を聞いて、がんばらないといけない!」と理解し、一生懸命に指示されたことに向かう意識、そういう真面目な姿勢があるか?」が見られ、そして、その姿勢のあるなしが問われている、のです。+
真面目な姿勢とは、指示されたこと、問われたことが「できない」「わからない」という場合にも見えるもの、です。
つまり、わからないから、できないからといって「腐る」「放棄する」のではなく、最後まで真剣に考えよう、やろう、という姿勢があるか、ないか。
案外、あっさり、子どもの人柄、性格は見えてきます。

学校が求めているのは「意識と姿勢」

いかがですか?
問われていることが「意識と姿勢」であれば、小学校受験に臨む5歳児、6歳児が真に求められているものは「高い能力」「高得点」「満点」でもないのです。
だから、「高い能力」「高得点」「満点」に照準を合わせ、疲労困憊することは、本末転倒なのです。
もちろん「高い能力」「高得点」「満点」はすばらしいですね。しかし、どうぞ忘れないでください。高い能力を自覚している子が、もし「自分は偉いのだ、賢いのだ」と、幼い頃から傲慢で、横柄な態度で優しさに欠けるとしたら?それは、人として決して褒められることではありません。なぜならば、将来、とても残念なことに、その子の傲慢さが、きっとその子の足を引っ張ることになっていく・・・

学校が見ていること。求めているもの。
それは、「人としての姿勢」であり、「人間力」。だから、まどか先生メソッドでは、そこに力点を置いているのです。