
我が子が誕生した瞬間から、「将来、この子を是非、私立小学校に通わせたい!」そう思われるご家庭は、現代では少なくありません。
受験準備をサポートする立場としては、やはり「急に思い立って私立小学校受験を考えた」というよりも、「我が子には、ずっと私立小学校受験を考えてきました」と言われるご両親のほうが、さまざまな面でご家庭としては真っ当である、と思いますし、それだけの時間をかけて、じっくり準備に取り組める、というメリットと心の余裕もあるでしょう。
しかし、ご両親が正しい私立小学校受験の知識と、それに向かうための姿勢をしっかりと理解していなければ、0歳児、1歳児、2歳児という、大切な幼い我が子をミスリードしてしまう・・・こういう危惧があるのです。
受験の準備、と聞くと、たいていの方は、「知育教材を使ってのご家庭での早期教育」や「早期からの幼児教室通い」を思い浮かべられるでしょう。確かに、どちらも意味があり、子ども達が喜んでそれを受け入れれば、きっと大きな成果が生まれることとなるはずです。
しかし、受験の準備は、決してそれだけではないのです。
★ ひとつめの柱 「家庭生活」
受験準備。ここで忘れてはならないのは、毎日の家庭生活、です。
親子の時間、家庭での時間、これは、子どもに非常に大きな影響を与えます。子どもは、親の行動、言動、家庭内の様子、空気、それらのすべてを五感で感じ、それらから多くのことを学んで、日々成長をしていると言っても、決して過言ではありません。
このホームページの「私の考える小学校受験」の項目にも書いた通り、私立小学校では、ほとんどの学校が、両親面接を実施しています。実際に学校に通うのは子どもにもかかわらず、なぜ両親の面接を必要としているのか?こたえは、簡単ですね。
無垢な子ども、白紙のキャンバスを持って生まれてきている子どもを育て、そこに絵を描き始めるのは両親、だからです。
知育的な能力は、ある程度は訓練をすることによって育ちます。いわゆる、後付けのできる部分です。
しかし、子どもが両親や家庭から自然に身に付けていく部分は、短期間に修正などできない、もっと深いところから身に付くもの、なんです。だからこそ、私立小学校では、その子を判断する時に、ご両親や、そのご家庭の雰囲気を強く知りたい、と思われるのでしょう。ここが、偏差値重視で考査をする中学受験や高校、大学受験との大きな違いです。
* あなたのご家庭は、季節感のある、暮らしに潤いのあるご家庭ですか?
* 毎日の日常生活に穏やかな空気の流れ、心のゆとりはありますか?
* 家庭では正しい日本語を使い、子どもに話していますか?
もちろん、チェック項目は、もっともっとたくさんありますが、こういうことを意識を持って暮らしていく生活と、何も意識せず、ただただ日々を送っていってしまうのとでは、子どもに与える影響は、大きく違ってきます。
どうぞ、知育教育ばかりに熱を入れずに、家庭生活そのものを、根本的に見直していきましょう。
★ ふたつめの柱 「知恵と知識」
ここ数年、子どもの教育に高い意識を持つご両親には、大きく分けて2つのタイプがあります。
1.子どもの自主性を尊重する親
こういうご両親は、「子どもの意志を大切にする」をスローガンに子育てをし、子どもが本当に幼い頃より、何かを親から与えたり、強制したりすることなく、ひたすら、「子どものしたいことをさせる」ということに徹して、子どもに接しています。
確かに、相手が誰であっても、意志を尊重する、ということは非常に尊いことです。しかし、一見とても素敵なことに思えるこの教育方針は、一つ間違うと、「野放しの状態」を作ってしまいます。まだまだ子どもは未熟で、自分の意志、と言われても、それほどの判断力もありませんし、子ども自身の世界は極々狭いものです。
例えば、子どもの知っている遊び、子どもの知っている知識、子どもの知っている習慣が、AとBとCという3つしかなかったとしたら?子どもの自主性に任せてしまうと、その子は、常にこの3つのことをグルグルとローテーションでするしかありません。そしてもし、D、Eという新しいものを会得したとしても、そのDとEは、果たして道徳的に良いものであるのかどうかもわからないのです。
要するに、良くも悪くも、両親という最も自分にとって身近な存在からの多くの新しいチャンス、刺激、働きかけがなければ、こういう子ども達は、ただの「自己中心的で、自分勝手な、社会性の育っていない子ども」に成りかねません。
2.子どもにシャワーのように知識を与え、知育教育に熱心な親
「早期教育信奉者」である両親は、子どもが幼い頃から、国際人としての外国語教育、芸術をはじめとする情緒教育、英才教育的な知育雑誌の定期購読や教室通いなど、優秀な子どもの育てるためのあの手この手を考え、その機会を与えます。
子どもの脳は柔らかく、どんなことにも反応し、きっとそれなりの成果はあるはずですね。決して、マイナスになることはありません。
しかし、間違ってはいけないことは、人の賢さとは、知識量ではない、ということです。
たとえば、「ほし」を英語で「star」ということを知っていること、「いるかは魚ではなく、哺乳類である」ということを知っていること、が偉いのではない、ということです。確かに、「star」という音を発音し、それを音として覚え、記憶することはすばらしいことです。でも、それ以上のものではありません。
もっともっと人として大切なことは、幼いながらも、見たり聞いたりしたことを、自分の引き出しの中に入れ、自分の力で考える習慣を持ち、時にはそれを相手に伝えたり、相手から伝えられることを聞く力を持つことなんですね。
ですから、知育教育に振り回されることなく、それを上手に利用し、決して我が子を「知識コレクター」になるのではなく、知ることの喜び、考える楽しさ、聞くことの大切さを教える、真の知育、体育、徳育をバランスよく経験させることでしょう。

いかがですか?
私立小学校受験準備の幼児教室に通う年齢になるまでは、ご家庭でのバランスのとれた「日々の生活」が不可欠です。
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